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武雄市議会議員( 前議長) 牟田勝浩のつれづれなるままに・被災された方に心よりお見舞い申し上げます

鍋島直正

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何度か佐賀城本丸歴史資料館に行ったことがあるのですが

話の中心は鍋島直正の事が多いですね。

この鍋島直正ですがひじょうに勉強になりますし

以前ここで私の学生時代の物語(ノンフィクション)である

牟田版 「北の国から’86位

を紹介してきましたが

その北海道とも大いに関係がある鍋島直正公。

明治2年(1869年)6月6日、蝦夷開拓総督を命ぜられ、

旧藩士島義勇らを開拓御用掛に登用、

7月13日には初代開拓使長官に就任

旧幕府軍との戦いの褒賞を割って開拓費用に当て、

諸藩に先んじて佐賀藩の民を移住させたほか、

満州開発、オーストラリア鉱山開発などを提言するなど、

以後50年先に待ち受ける、対外、食料、資源などの問題を見通していた。

彼がいなければ防衛施設も防衛する人もいなかった蝦夷地が

ロシア領になっていたことは間違いなかったらしい。

密貿易により世界の情勢をよく心得ていた直正があって今の北海道があり、

実質的な北海道開拓の父と言われているとの事です。

鍋島直正_a0074633_1613118.jpg


また行政改革の手腕も見逃せません!!

当時の佐賀藩は、長崎警備等の負担が重く、

さらには先代藩主の奢侈・贅沢もあって、その財政は破綻寸前の状況に。

直正自身も初入部のため、江戸藩邸を佐賀に向けて出発せんとするやいなや、

藩に貸付のある商人たちが藩邸に押し寄せ、

借財返済を申し立てたため、直正の行列は進行を停止せざるを得ない

屈辱的な経験をしている。

直正は、襲封するとともに藩政改革に乗り出したが、

当初は江戸にいた前藩主・斉直とその取り巻きら

保守勢力の顔をうかがわねばならないことが多く、

実行できた改革は倹約令の発令がせいぜいであった。

しかし天保6年(1835年)

藩の中枢であった佐賀城二の丸が大火で全焼するという危機にあたり、

荒廃していた佐賀城本丸に御殿を移転・新築させる

佐賀城再建を斉直の干渉を押し切って実行した。

これを皮切りに、

役人を五分の一に削減するなどで出費を減らし

陶器・茶・石炭などの産業育成・交易に力を注ぐ藩財政改革を行い、

財政は改善したということです。

また藩校弘道館を拡充し優秀な人材を育成し登用するなどの

教育改革、小作料支払い免除などによる農村復興などの諸改革を断行した。

役人削減とともに藩政機構を改革し、

政務の中枢に出自に関わらず有能な家臣たちを積極的に登用した。

さらに斉直がかつて削減した長崎警備の強化を掲げ、

西洋の軍事技術の導入をはかり、精錬方を設置し、

科学技術の導入と展開に努めた。

その結果、後にアームストロング砲など最新式の西洋式大砲や

鉄砲の自藩製造に成功した他、

蒸気機関・蒸気船までも完成させることにつながっている。

いや~~佐賀の殿様はスゴイです。
by maikokoti | 2008-10-24 16:00 | 全般
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武雄市議会前議長 現在IT推進特別委員会委員長

by maikokoti
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